「えっ、わたし、なんかマズった?」
リザレリスにはなんの悪気もなかった。むしろ他意もなく素直で正直と言えよう。
「王女殿下」気を取り直したディリアスは改まった口調で答える。「我々は、初代ブラッドヘルム王が何処へと去っていってしまってから五百年間、別の王を立てながらもリザレリス王女殿下の目覚めをずっと信じ、何代にも渡って待ち続けていたのです」
「そ、それはさっき聞いたけど」
「なぜ我々がそこまで、眠り姫となった王女殿下の目覚めを待ち続けたと思いますか?」
「な、なんだろ。特別だから?」
「さようです!リザレリス王女殿下!貴女は特別なのですよ!」
急にディリアスのスイッチが入った。顔つきの変わった中年紳士にリザレリスはにたじろぐ。
「は、はい?」
「ブラッドヘルム王なき後のこの国を、再び誇り高き吸血鬼の国として再興できるのは、正統なプリンセスである貴女しかいないのです!」
「は、はあ」
「今の王女殿下にはおわかりにならないでしょう。現在の〔ブラッドヘルム〕の窮状を」
ディリアスの表情に深刻さが帯び始める。
「きゅうじょう?貧乏ってこと?」
リザレリスの質問に、ディリアスは重々しく頷く。
「これはまだ説明を控えていたことです。王女殿下がショックを受けてしまわれないために」
「えっ、ひょっとしてこの国、ヤバいの?」
リザレリスの胸に不安が立ちこめる。
「はい。現在、我が国の経済は逼迫しております」
「ま、まさか、破綻寸前とか?」
「長年の友好国であった〔ウィーンクルム〕との貿易が完全に打ち切られてしまったなら、あるいは......」ディリアスは明言を避けた。だが意味は明白だった。
リザレリスは落ち着きなく視線を彷徨わせてから、ガタンと立ち上がる。
「じゃあ俺...わたしは、今にも滅びそうな、没落した吸血鬼の国の王女様ってこと?」
リザレリスの辛辣な物言いにも、ディリアスは頷くしかなかった。
「滅びると決まったわけではありませんが......」
「いや、ちょっと待ってくれ」
ここでリザレリスは頭の中で話を整理する。状況はわかった。しかし、伝説の吸血鬼の娘の正統なプリセンスが復活したというだけで、果たして国が再興できるものなのか?
「王女殿下」そこへリザレリスの心中を察したようにディリアスが言う。「我々ブラッドヘルム国民にとって、初代国王ヴェスペリオ・リヒャルト・ブラッドヘルム陛下の存在は、まさしく神に等しいのです」
「神......」
「他国では、時に揶揄として〔ブラッドヘルム〕のことを、過去の伝説伝承に縛られた古臭い宗教国家だと言うことがありますが、それもあながち間違ってはいないのです」
「つまり、わたしは......」
「さようです。リザレリス王女殿下は、いわば女神のような存在となりうるのです。実際、殿下の母君であるロザーリエ王妃が、まさしくそのような存在であったと言い伝えられています。ロザーリエ王妃は、当時のウィーンクルム王女でありながらヴェスペリオ王と愛し合い結ばれて我が国の王妃となった方なのですが、ブラッドヘルム国民を愛し、そして国民からも大変愛された女神のような方だったそうです」
「そ、そうなんだ」
「そして王女殿下こそ、ヴェスペリオ・リヒャルト・ブラッドヘルム王とロザーリエ・テレジア・バッヘルベル王妃、その御二人の血を引く吸血姫なのです」
「究極のサラブレッドってことか......」
「はい?」
「いや、なんでもない」
「だからこそです!」
ここで再びディリアスが目を見開いた。
「な、なんすか」
びくっとするリザレリスに、ディリアスは鋭い眼差しを向けた。
「王女殿下には、血の薄くなってしまった我々とは違う、正統なる吸血鬼の御姿をお見せしていただきたいのです!その姿は、今や廃れてしまった吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の国民にとって、強き希望の光となるのです!」
「せ、正統なる吸血鬼の姿って......」
「恍惚と人間の血をすする吸血鬼の姿です!」
ディリアスの声が広い部屋に響き渡った。周りの者たちは皆、熱い表情で手を握り合わせている。その通りだと。
ついていけていないのは、やはりリザレリス本人だけだった。
大理石の豪華な風呂から上がったリザレリスは、侍女たちから服を着せられるのを必死に耐えていた。「これぐらい自分でやるし......」「何をおっしゃいますか。記憶を失っていらっしゃるとはいえ貴女は王女殿下なのですよ」特別侍女長のルイーズがリザレリスに注意を入れる。まるで女教師といった雰囲気の彼女は、特別にリザレリスの専用世話係に急遽抜擢されたベテラン侍女である。すでにリザレリスは彼女のことを苦手に思っていた。「てゆーか俺...わたしって、王女殿下なんだろ?だったらあんたより偉いってことなんじゃないの?」リザレリスがうんざりした口調で言うと、ルイーズの眼光の鋭さが一段と増した。「だからこそなのですよ!」「どゆこと?」「貴女は高貴なる王女殿下。正統なるヴァンパイアプリンセス。相応しい振る舞いをしていただかないと我々が困ってしまうのです」「ヴァンパイアプリンセスの振る舞いって、血をすすること?」リザレリスは悪戯っぽくペロンと舌舐めずりをして見せた。そんな彼女のじゃじゃ馬っぷりに、ルイーズの表情はいかにも引き締まる。「これから私がきっちりと仕込んで参りますので、覚悟なさってください」「うわぁ、シャレも通じないのか」「......なんでございましょう」「なんでもないですよーだ。じゃ、もう服着たから部屋に戻るぞ」「髪の毛がまだです!」「まだやんの??」「きちんとお手入れいたしませんとせっかくの美しいブロンドヘアーが台無しになってしまいます!」「いいじゃん、もう寝るだけなんだし」「今日のためだけではありません!」「うわぁ、メンドクサイ......」「はい!?」「いえ、なんでもないっす......」鬼のマナー講師とでも言わんばかりのルイーズの様相は、ますますリザレリスをげんなりさせた。・寝室に戻ってきて一人になると、リザレリスはふかふかの大きなベッドに顔からぼふんと倒れ込んだ。シーツも布団も枕も新調されていた。「王女様って、なんか疲れるなぁ」もぞっと寝返りを打って仰向けになり、自分の胸を触った。「風呂入って裸を見ても全然興奮しなかった。自分の体だからなのか、女になっちゃったからなのか。自分で言うのもアレだけど、前世じゃ女好きだったのになぁ〜」なんだか途端につまらない気分になってくる。なんなら男でも誘惑してみようか。そんなことさえ
これから秘密の夜会へと出かけるように寝間着から着替えたリザレリスは、隙をついてこっそりと部屋を忍び出た。コソドロのようにひたひたと、薄暗くなったヴァンパイア宮殿の、広い廊下と階段を進んでいく。その途上だった。リザレリスは、前方にある一室の前でディリアスの姿を視認すると、柱の影にサッと身を潜めた。そこから彼女は、死角となる位置を見極めながら、そ〜っと近づいていき、耳をそばだてる。なぜ彼女は、そんな危険な行動を取るのだろうか?「俺...わたしのことを、話しているよな......?」そう。ディリアスは何やらただならぬ雰囲気で小太りの重臣と話し込んでいるのだが、その内容はリザレリスについてのことらしかった。しかも聞こえてくる会話の断片から推察するに、王女を議題にした会議後だったようだ。終了し退室してからも深刻に話し込むのは、その会議が相当に紛糾したからであろうか。 「まあ王女だから、そりゃ重臣たちで会議もするよな......」そう考えて納得するも、リザレリスはどこか腑に落ちない。というのも......。ディリアスによれば、現在の〔ブラッドヘルム〕は王不在だという。つい先日、王が崩御してしまったからだ。なので、数年前に王が病床に伏してから今に至るまで、ディリアスが摂政として内政も外交も取り仕切っていた。そして王に世継ぎはなく、未だ次期国王も定まっていない。まさにそのタイミングで、リザレリスは目覚めたのだった。これは〔ブラッドヘルム〕にしてみれば、天佑と言っていいだろう。さて......。このような状況で、目覚めた王女についての会議を、果たして王女抜きでやるだろうか?「くそ。もっと近づかないとちゃんと聞こえないな......」そう思ったリザレリスが、これでもかと耳を伸ばした時だった。「それでも王女殿下の政略結婚には最大限慎重であるべきだ!」ディリアスが語気を荒げて大声を上げた。次の瞬間、リザレリスの口から無意識に声が洩れる。「えっ??」即座にリザレリスはハッとして、両手で口を塞いだ。それからそっと後ずさると、その場から離れようときびすを返した。とその時。彼女の視界の先に、ちょうど廊下の角から曲がって出てきた侍女長が現れる。「王女殿下?」動こうとするも間に合わなかった。ルイーズはリザレリスの姿を確認するなり、呼びかけながら近づいてきた。
「失礼いたしました。王女殿下」そう言ってエミル・グレーアムがリザレリスを降ろした場所は、城の屋上だった。あまりに速すぎて、どうやってここまで来たのかリザレリスにはわからなかった。「い、今のはなんだったんだよ。スゲー動きだったぞ?」「私の特技のひとつです」「特技?」「ディリアス様からご説明はございませんでしたか?」「......あっ、ひょっとして魔法とか?」「はい」「へー、そうだったのか」リザレリスはこの辺のことをあまり深く考えていない。おそらく前世の人格のせいだろう。「驚かせてしまいまして申し訳ございません」エミルは深く頭を下げた。「もういいよ。てゆーか、こんな所に連れてきてなんのつもりだよ。意味わかんねーよ」さっそくリザレリスが文句をつける。エミルは申し訳なさそうにはにかんで返してから、手すりに寄
「!!」エミルは大きく目を見開いてから、再び目を逸らした。言葉が返せないのは、相手が王女だから否定できないのか、図星だから否定できないのか。いずれにしても、エミルの彼女への想いには、並々ならぬものがあるのは間違いなかった。「ふーん。じゃあさ。こうしたらどうだ?」次にリザレリスの執った行動は、エミルを驚愕させる。「お、王女殿下、い、いったいなにを......」エミルの狼狽は極限に達した。なぜなら彼の手が、王女の胸のふくらみに当てられたからだ。「おまえ、わたしとヤリたいんじゃねーの?」リザレリスの意地悪い魔女のような眼差しがエミルに突き刺さる。「お、おやめください」もはやエミルにはそれしか言うことができない。「ヤリたいかヤリたくないか、どっちだよ」「お、おやめください」「どうせ男はヤリたい生き物なんだ。
エミル・グレーアムは、生まれながらにして魔力を有する特別な人間だった。そんな彼が、この時代の「吸血姫が目覚めた時のための生け贄」に選ばれるのは当然だったと言える。しかし実際に生け贄に選ばれるまでの、魔力覚醒前夜の幼少期のエミルは、極めて過酷な状況に陥っていた。エミルの両親は、彼が物心ついた頃には亡くなっていた。街中で暴走した馬車に巻き込まれて死んだのである。エミルの記憶に残っているのは、迫りくる暴馬と、自分を抱擁したまま生き絶えた両親の生温かい血と、冷たくなっていくぬくもりだけだった。その後、エミルは唯一の縁者だった叔父のもとに預けられる。財力のある叔父は、以前にエミルの両親が困った時には経済的援助もしてくれた人だった。叔父はエミルを喜んで迎え入れた。なぜならエミルは誰よりも美しい少年で、叔父の知られざる欲望を満たすための極上の果実だったから......。ある日のこと。叔父から秘密の地下室に呼び出されたエミルは、二つの真実を知った。ひとつは叔父の淫らな本質を。もうひとつは、生前の両親が頑なに叔父を引き合わせてくれなかったのは、息子を守るためだったということを。「や、やめてよ、叔父さん!」
エミル・グレーアムは刑務所にぶち込まれた。もはや少年は何もかもに絶望していた。幾度となく自ら命を断とうかとも考えた。そんな時だった。何の前触れもなく唐突に、エミルは釈放されたのである。何が何だかわからないエミルの目の前に現れたのは、ディリアスと名乗る大人の男だった。「大丈夫だ。君は悪くない。私が君を許す。そのかわり君には、我が国の眠れる希望のための生け贄となって欲しい。君には素晴らしい才能と素質がある。君こそ相応しいのだ」 幼い少年がどこまでを理解していたかはわからない。だがそれは、エミルにとって救いの手以外の何者でもなかった。エミルは、ディリアスについていった。それからのエミルは、ディリアスのもとで魔法を磨くためにひたすら鍛えられた。より上質な生け贄となるために。才能ある彼は、時間とともにメキメキと実力をつけていった。やがてエミルは、成長するにつれて、生け贄となったことを誇りに思うようになっていた。自分は選ばれた人間だと思えるから。実際、彼以前の生け贄に選ばれた人間は皆、優れた容姿と魔力を兼ね備えた特別な者たちだった。自分もその一員になれて、彼は嬉しかった。ただ......。
「それ以来、ディリアス様は入室を許してくださいました。それも理由があってのことではありますが。そうして私の心は......その日から王女殿下の美しい寝顔を見ることにより、平穏さを保つようになったのです」......語り終えたエミルは、もう死んでもいいとでも言いたげに、感極まっていた。夜空には煌々と満月が浮かび、数えきれない星々が瞬いている。夜風がリザレリスの頬をそっと撫でた。その時、風に飛ばされたしずくがきらめいた。「お、王女殿下!?」エミルは、ハッとする。リザレリスの頬に一筋の涙が光っていたから。「あ、あれ?」リザレリスは頬をぬぐう。自分でも気づかなかった。ただ、ひどく悲しい映画を観た直後のような脱力感に満たされていた。遊び人だった前世の人格にも、このような感受性は備わっていた。むしろ案外涙もろいところもあった。なので、エミルの話は少々刺激が強過ぎたのかもしれない。「も、申し訳ございません。私がつまらない話を長々としたばかりに。つい王女殿下の前で舞い上がり過ぎてしまいました」どうして良いかわからず、エミルは深々と頭を下げた。まさか自分ごときの話に、王女殿下が涙を流されるわけ
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ディリアスはいったんドアの方をチラッと見やってから、エミルへ視線を戻す。「で、どういう変化なんだ」「明確に言うのは難しいのですが......」「いいから言ってみろ」「ぼくの魔力に、新しい別の魔力が混じったような、そんな感覚を覚えたんです」「新しい別の魔力が混じった?」「おそらく王女殿下は、特殊な魔力をお待ちのようです。それはまだ微弱なもので、今後どうなっていくかはわかりません。ご自身ではお気づきになっていらっしゃらないようですが」「特殊な魔力か」「そして吸血により、ぼくの中にその魔力が流し込まれたのかもしれません」「なるほど。だからお前はその魔力に気づけたのだな」「そう考えるのが妥当かと。とはいえぼくも二回目の吸血でようやく気づけたことですが」「それで、お前の魔法に変化はあるのか?」「今のところはまだ。ただ......」
無事パレードも終わり、一日が終わろうとする頃、エミルはディリアスの執務室へ呼び出された。二人きりだった。部屋はやけに静かで、ランプの炎の音が聞こえてきそうだった。ディリアスの指示により、小一時間ほどは他の者の入室、および部屋に近づくことさえも禁じたからだ。「先生」執務机を挟んで、エミルはディリアスの向かいに立った。「エミル。何の話かはわかるよな」ディリアスは着座したままエミルの顔を見上げる。神妙な表情だ。「リザさま...リザレリス王女殿下のことですね」エミルも神妙に応じる。ディリアスは目だけで頷くと、口を切った。「今日に至るまで、王女殿下に吸血されたのは二回だけ。間違いないな?」「はい」「吸血のタイミングは不規則で、条件も特に見当たらない。そうだな?」「はい」「では王女殿下のご様子に変化は?」「吸血
【12】 いよいよ王女が留学のために出国する前日。青空の下、〔ブラッドヘルム〕ではパレードが行われた。リザレリスの提言により無駄な支出は控えられていたものの、ディリアスの立っての要望だった。何より国民のためと言われれば、リザレリスも断ることができなかった。豪勢な馬車に鷹揚と運ばれながら、花道を作る国民に向かい上品な笑顔を作り、しとやかに手を振る王女がそこにいた。「う、うまくやれてるかな」リザレリスは笑顔を維持したまま、隣に控えるディリアスに確認する。「大丈夫です」ディリアスは穏やかに頷いた。リザレリスはほっとする。事前にルイーズから相当厳しく指導されていたので、万がいち失態を犯せばどれだけ絞られるかわからない。留学前日の夜に『王女教育授業』の補講を受けるハメになるのはまっぴらだった。「......それにしても、俺...わたしって人気あるんだな」道に押し寄せた国民は、リザレリス王女を一目見ようと熱狂していた。逼迫した経済状況であることも忘れて。国民のためと言ったディリアスの言葉の意味は、こういうことだったのだ。
【11】留学まで残りあと僅かとなったある日。午前の授業を終え、いったん自室に戻ったリザレリスは、はたとする。「俺...わたしは、なにマジメに王女やってんだー!」ここのところのリザレリスは、日々ルイーズの授業を受けながら、城内と城の近辺だけで過ごしていた。留学したら自由にできると思って、今は大人しくしていたというのもある。ヘタに何かをやらかして留学の話が飛んでしまったら元も子もない。だが、そろそろ限界を来していた。「留学はマジで楽しみだ。なんせ前世でも経験したことないんだから。だから今は遊ぶのも我慢してたけど......もう遊びてー!!」リザレリスは叫んだ。前世の人格から飛び出した、まさしく魂の叫びだった。「てゆーか最近はエミルの奴もあんまり絡んでくれないし。そうだ。エミルを連れ出して、また一緒に外へ遊びに行こう!」思い立ったが吉日。リザレリスはドタドタと部屋を飛び出した。「エミル・グレーアムですか?外に行っておりますが。場所は確か......」臣下のひとりに教えてもらい、リザレリスは廊下を駆け抜け城を出ていく。召使いに命令して呼び出したほうが楽なのに、リザレリスは自分で探しに行った。そうしたかったから。「あっ、エミル!」視界の先にエミルを見つけ、リザレリスは人気のない空き地に向かって翔けた。 「王女殿下?」エミルは驚いて振り向いた。視界の先から、愛しい王女が手を振って走ってきている。「リザさま......」エミルは息を飲んだ。太陽に照らされたイエローダイヤモンドのように煌めく美しい髪をなびかせて、無邪気な少年のように駆けてくる絶世の美少女に。「エミル!」リザレリスはエミルに走り寄っていくと、華奢な体でドーンと体当たりした。エミルはただ驚いた。「り、リザさま」「あ、ヤバい」と途端にリザレリスは膝に手をついて、ゼーゼーと肩で息をする。 心配になったエミルは王女の肩を抱こうとするも、ハッとする。朝からトレーニングをしていた自分の体が汗臭い気がしたから。「ああー、のど乾いちった」おもむろにリザレリスは汗が滲んで桃色に火照った顔を上げて、えへへと笑った。その笑顔から放たれた可憐な矢に、エミルの心臓は射ち抜かれた。「か、かわいい......」「えっ、なんて言った?」「な、なななんでもないです」途端にあたふたとしてエミルは横を向い
【10】王子来訪以来、エミルは城外にある人気のない空き地によく足を運ぶようになっていた。リザレリスを取り巻く状況が変化したことと並行して、エミルの心境も変化していた。もっとも彼の場合は、個人的な感情に起因していた。「精が出るな。エミル」そこへディリアスがやってきた。すでに空は夜に染まっていた。「ディリアス様。お忙しいところ、こんな時間にお呼び立ていたしまして申し訳ございません」エミルは動作を止めて、ディリアスに体を向けた。綺麗なエミルの白い顔は火照り、汗が滴り落ちている。「今は私たちだけだ。そんなに堅い言葉使いはしなくていい」「そうですね、先生。それでは早速ぼくと手合わせ願いませんか?」エミルは意気込んで構えるが、肩で息をしていた。ディリアスは吐息をつく。「少し休憩を取りなさい」「嫌です」生贄の美少年は、熱い青少年の眼差しを向けた。「すぐにやらせてください」「そんなに悔しいか」 ディリアスに訊かれ、エミルは拳をギリギリと握りしめる。「ぼくは王女殿下の生け贄であると同時に護衛です。それなのに......」「フェリックス王子に敗北してしまったと」「はい......」「戦いではないのだがな」「ぼくの唯一の取り柄である魔法で出し抜かれてしまったのは事実です。フェリックス王子にとっては取るに足らないことなのかもしれませんが、ぼくにとっては......」「まるで想い人を取られてしまったような顔をしているな」「なっ、いや、ち、違います!」図星だと言わんばかりに慌てふためくエミルを見て、ディリアスは嬉しそうに頬を緩めた。「あの王女殿下が、あの一件でフェリックス王子とお前を比べたと思うか?」「......そうは思いません。これは、ぼく自身の問題なんです」エミルは視線を逸らして、唇を噛んだ。「つまり、このままでは王女殿下に相応わしい男ではないから修行し直している。こういうことだな?」「はい」「リザレリス王女殿下の意中の男性になるためにはもっと頑張らなければ。こういうことだな?」「はい。......えっ??」やっと言葉の意味を理解したエミルは、またもやあたふたと焦り出した。「そんな分をわきまえない大それたこと、ぼくは!」「では、久しぶりに手合わせするか」と唐突に切り替えたディリアスは、エミルに向かい構えて見せた。「ぼ、ぼくをから
【9】王子ふたりが来訪してからしばらくの間に、リザレリスを取り巻く状況は変化していた。まず、ドリーブの策略によって危ぶまれたディリアスの地位は、以前にも増して安泰した。これはリザレリスにとっても好ましい状況変化といえる。「この度は、誠にありがとうございました......」ディリアスに深々とお辞儀をするドリーブのタヌキ面は、悔しさに満ちたものだった。結果として、ディリアスがドリーブの失策を挽回した形となったからだ。ディリアスがフェリックス王子と王女留学の話をまとめたことにより、ドリーブも救われた格好となったのである。もちろんドリーブ自身リスクは重々承知していた。失敗に終わったこと自体は素直に受け入れている。要するに、政治生命を救われたとはいえ、ディリアスに借りを作ってしまったことが不本意でならないのだ。「し、失礼いたしました......」奥歯を噛み締めてドリーブが部屋から辞去していくと、ディリアスは吐息をついた。「ドリーブ卿は、一番の政敵である私に借りを作ってしまって悔しいだろうな」「これで大人しくなってくれればいいですね」何の他意もなく部下が言うと
【8】城を後にした王子たちは、早々に帰国の途についていた。島国の〔ブラッドヘルム〕の港から、〔ウィーンクルム〕の港までは、船でニ時間あまりを要する。すでに夜だったが〔ウィーンクルム〕が誇る魔導式船舶であれば何も問題はない。だからフェリックスの意見で少しでも帰国を早めたのだった。誰もウィーンクルムとブラッドヘルムを行き来する商船に、王子二人が乗っているとは思いもしないだろう。入国も出国も、いずれもフェリックスの指示で、部下のグレグソンが手配した。第一王子にとって、お忍びでブラッドヘルムを行き来することは容易かったのである。「つーかよ」王子用に用意された客室の中、レイナードは正面に座るフェリックスへ切り出した。「マジで兄貴は何がしたいんだ?」弟の顔には当惑の色が浮かんでいた。兄はふっと頬を緩めて、穏やかに微笑む。「ディリアス様とお話したことがすべてだよ?」「どうせ俺に説明してもわからねーってことか」ふんっと弟は腕を組んで顔を背けた。「物事にはタイミングというものがあるからね」とフェリックス。
「驚かせてしまったようだね」フェリックス王子は、そのままゆっくりと階段を降りてくると、リザレリスを丁重におろした。「ケガはないかい?」「あ、ありがと」さすがのお転婆プリンセスも、しおらしく素直に感謝する。「これはフェリックス王子に一本取られたな。エミル」遅れてディリアスが彼らのもとへ歩いてきた。はたとしたエミルは、即座にフェリックスへ向けて跪く。「た、大変申し訳ございませんでした」「いやいや、悪いのは僕だから。君の動きがあまりに素晴らしかったからね」「い、いえ」頭を垂れたままのエミル。「フェリックス王子は有数の魔導師でもあるんだ」ディリアスが言った。それからディリアスは、侍女姿のリザレリスに視線を移すと、どうしたもんかと考える。フェリックス王子は、彼女が王女だと気づいているのだろうか?気づいていないのなら、このままやり過ごすこともできるが......。そこへディリアスの方針を固める出来事が起
ドリーブは疑問を浮かべ、エミルの耳元へ口を寄せる。「ど、どういうことなんだ?」「これにはちょっとした経緯がありまして......とにかく、王女殿下だということはバレていないようです」エミルの返答に、ドリーブは希望を取り戻し、顔色も取り戻した。「そ、そうか。レイナード王子は、ただの侍女だと思っているということだな」「はい。それはそれでまた別の問題がありますが」「確かに......」 一国の王子が他国の侍女に指を突きつけられているなど、ありえないことだ。ドリーブはひやひやしながら王子と侍女を見守る。「ったく、ここじゃ侍女の教育もままなっていねーのか?」「そんなことより、指輪を渡せよ!」「なーんでこの俺がお前に渡さなきゃならねーんだ。買ったのは俺だ」「割り込んだのおまえだ!」「メンドクセー女だな」「あんだ