「えっ、わたし、なんかマズった?」
リザレリスにはなんの悪気もなかった。むしろ他意もなく素直で正直と言えよう。
「王女殿下」気を取り直したディリアスは改まった口調で答える。「我々は、初代ブラッドヘルム王が何処へと去っていってしまってから五百年間、別の王を立てながらもリザレリス王女殿下の目覚めをずっと信じ、何代にも渡って待ち続けていたのです」
「そ、それはさっき聞いたけど」
「なぜ我々がそこまで、眠り姫となった王女殿下の目覚めを待ち続けたと思いますか?」
「な、なんだろ。特別だから?」
「さようです!リザレリス王女殿下!貴女は特別なのですよ!」
急にディリアスのスイッチが入った。顔つきの変わった中年紳士にリザレリスはにたじろぐ。
「は、はい?」
「ブラッドヘルム王なき後のこの国を、再び誇り高き吸血鬼の国として再興できるのは、正統なプリンセスである貴女しかいないのです!」
「は、はあ」
「今の王女殿下にはおわかりにならないでしょう。現在の〔ブラッドヘルム〕の窮状を」
ディリアスの表情に深刻さが帯び始める。
「きゅうじょう?貧乏ってこと?」
リザレリスの質問に、ディリアスは重々しく頷く。
「これはまだ説明を控えていたことです。王女殿下がショックを受けてしまわれないために」
「えっ、ひょっとしてこの国、ヤバいの?」
リザレリスの胸に不安が立ちこめる。
「はい。現在、我が国の経済は逼迫しております」
「ま、まさか、破綻寸前とか?」
「長年の友好国であった〔ウィーンクルム〕との貿易が完全に打ち切られてしまったなら、あるいは......」ディリアスは明言を避けた。だが意味は明白だった。
リザレリスは落ち着きなく視線を彷徨わせてから、ガタンと立ち上がる。
「じゃあ俺...わたしは、今にも滅びそうな、没落した吸血鬼の国の王女様ってこと?」
リザレリスの辛辣な物言いにも、ディリアスは頷くしかなかった。
「滅びると決まったわけではありませんが......」
「いや、ちょっと待ってくれ」
ここでリザレリスは頭の中で話を整理する。状況はわかった。しかし、伝説の吸血鬼の娘の正統なプリセンスが復活したというだけで、果たして国が再興できるものなのか?
「王女殿下」そこへリザレリスの心中を察したようにディリアスが言う。「我々ブラッドヘルム国民にとって、初代国王ヴェスペリオ・リヒャルト・ブラッドヘルム陛下の存在は、まさしく神に等しいのです」
「神......」
「他国では、時に揶揄として〔ブラッドヘルム〕のことを、過去の伝説伝承に縛られた古臭い宗教国家だと言うことがありますが、それもあながち間違ってはいないのです」
「つまり、わたしは......」
「さようです。リザレリス王女殿下は、いわば女神のような存在となりうるのです。実際、殿下の母君であるロザーリエ王妃が、まさしくそのような存在であったと言い伝えられています。ロザーリエ王妃は、当時のウィーンクルム王女でありながらヴェスペリオ王と愛し合い結ばれて我が国の王妃となった方なのですが、ブラッドヘルム国民を愛し、そして国民からも大変愛された女神のような方だったそうです」
「そ、そうなんだ」
「そして王女殿下こそ、ヴェスペリオ・リヒャルト・ブラッドヘルム王とロザーリエ・テレジア・バッヘルベル王妃、その御二人の血を引く吸血姫なのです」
「究極のサラブレッドってことか......」
「はい?」
「いや、なんでもない」
「だからこそです!」
ここで再びディリアスが目を見開いた。
「な、なんすか」
びくっとするリザレリスに、ディリアスは鋭い眼差しを向けた。
「王女殿下には、血の薄くなってしまった我々とは違う、正統なる吸血鬼の御姿をお見せしていただきたいのです!その姿は、今や廃れてしまった吸血鬼の国〔ブラッドヘルム〕の国民にとって、強き希望の光となるのです!」
「せ、正統なる吸血鬼の姿って......」
「恍惚と人間の血をすする吸血鬼の姿です!」
ディリアスの声が広い部屋に響き渡った。周りの者たちは皆、熱い表情で手を握り合わせている。その通りだと。
ついていけていないのは、やはりリザレリス本人だけだった。
「リザさま。おはようございます」起きるなり若くて美しい侍女がやさしく声をかけてきた。「おはよう。マデリーン」リザレリスが応えると、マデリーンは満面の笑みを浮かべた。「本日も朝からリザさまはとってもお可愛くていらっしゃいます」「マデリーンのほうこそ朝から美人だな」元遊び人らしくリザレリスも調子良く返した。するとマデリーンの顔がトロけるようにほころぶ。「そ、そんな、リザさまからそのようなお言葉をいただけるなんて」気をよくしたリザレリスは、マデリーンの頬にそっと手を触れる。「こんな綺麗な侍女がいてくれて、俺...わたしは幸せだぜ」「はあ!」マデリーンは膝から崩れ落ちた。「まったく朝から何をやっているんですか」後ろからルイーズが呆れながらやってきた。
【25】夜、皆が帰っていった後。リザレリスが自室に戻っていってから、居間でエミルはルイーズに訊ねた。言うまでもなくマデリーンについてのことだ。確かに彼女は、まるで人が変わったようにリザレリスへ従順になった。しかし彼女がリザレリスを傷つけたことは事実。それなのに侍女として彼女を迎え入れたのはどういうことなのか。「もちろん無条件に受け入れたのではありません。マデリーン・ラッチェンは、私の課した試験に合格したので採用しました」これがルイーズの回答だった。そして彼女はこうも付け加えた。「マデリーン・ラッチェンは、何もかも正直に話してくれましたよ。その上で彼女はリザレリス王女殿下の侍女になりたいと申しました。そんな彼女に対し、私は通常よりも遥かに厳しく試験と審査を行いました。しかし彼女は合格しました。ハッキリ言いましょう。彼女は優秀です。今後、彼女は必ず役立ってくれると私は判断しました」その説明は、エミルを納得させるに余りあるものだった。ルイーズという人間のことをエミルはよく知っている。彼女の課す試験と審査というものが、どれだけ厳しいのかを知っていた。エミルにとって彼女は、真の信頼に足る人物だった。彼は彼女を尊敬もしていた。「ルイーズさんがそう言うなら、そういうことなのでしょう」エミルが納得して見せると、ルイーズは口元を緩めた。
こうしてすっかり楽しい雰囲気となった彼らへ、サプライズが起こったのは夕食の時だった。食卓に着いた彼らのもとへ、ルイーズの指示に従い侍女が料理を運んでくる。最初は誰も気にしなかったが、ふと皆の視線が彼女に貼りついて固まった。ルイーズが満を持してといった具合に、咳払いをひとつする。「彼女は、本日から新しく侍女として入って参りました。マデリーン・ラッチェンです」侍女姿となったマデリーンは、リザレリスたちに顔を向け、挨拶する。「改めまして、本日よりリザレリス王女殿下の侍女としてこちらに勤めさせていただきます、マデリーン・ラッチェンです。どうぞよろしくお願いいたします」部屋に沈黙が訪れる。誰にも理解が追いつかない。皆が口を半開きにする中、フェリックスが吹き出した。「これは参ったな。さすがに僕にも予想外だったよ」笑い声を上げるフェリックスに、マデリーンが体を向ける。「フェリックス様の温情ある措置があったからこそ、今の私があります。本当にありがとうございました」彼女の謝意に対しフェリックスが会釈した時、ようやくリザレリスたちも一斉に声を上げた。「えええー!?」
放課後、肩を落として校舎から出てくるリザリレスを待っていたのは、レイナードとフェリックスだった。このタイミングでこのふたりが待っていたということは、理由はひとつだろう。「リザも聞いていると思うけど」とフェリックスは前置きして、リザレリスの反応を窺ってきた。リザリレスは無言で頷く。それを確認すると、彼は申し訳なさそうな顔を浮かべた。「彼女が自分自身で決めたことだから、これ以上は僕にもどうにもできない」そんなフェリックスに、レイナードは言う。「いや、兄貴は最大限のことをやってくれた。俺なんか最初からなんもできてねえ」レイナードは悔しさに唇を噛んだ。空気が重くなっている彼らを、周囲の生徒たちは不思議そうに眺めていた。いったい王子ふたりが一年生と何を話しているんだろう、という目で。マズイと思ったエミルとクララが視線を交わし合う。「早く参りましょう!」エミルとクララに促され、リザレリスたちは歩き出した。一行が乗り込んだ馬車がリザリレスの屋敷に到着すると、クララが遠慮がちに口をひらく。「ほ、本当に、私までよろしいんですか?」「当たり前じゃん。こんな日だからこそ今日はみんなで楽しみたいんだよ。クララもいてくんなきゃ困る」
人気のない校舎の裏庭までやって来ると、マデリーンが立ち止まり、こちらへ振り向いた。彼女は周囲を見まわしてから、クララへ顔を向ける。「巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」自分への謝罪にびっくりしたクララは、慌てて手を横に振った。「わ、私は、むしろ加害者側で」「違う。貴女も私の被害者よ。それに貴女がいなければ本当に取り返しのつかないことになっていたかもしれない」「そ、そんな、私は」「ごめんなさい。そして、ブラッドヘルム王女様を救ってくれてありがとう」「わ、私は、できることをやっただけです」クララは複雑な胸中で恐縮するが、マデリーンの様子には安堵していた。それからマデリーンは、改まってリザリレスの方へ向く。「ブラッドヘルムさん。いえ、リザレリス王女殿下」「は、はい」やけに畏まった様子にリザリレスはやや戸惑うが、このあとさらに困惑させられる。マデリーンが跪いてきたのだ。「この度は、多大なご迷惑を
【24】シルヴィアンナと取り巻きは、教室で呆気に取られていた。あの日の翌日以降、リザリレスが何も気にしていないからだ。怒るでもなければ怖がるでもなし。文句すら言ってこない。ただ何事もなかったように、教室でも外でも普通に明るく楽しく過ごしている。「どういうことなんでしょう......」取り巻きが言うと、シルヴィアンナはふんと鼻を鳴らす。「それよりもラッチェン先輩の停学処分が気になるわ。あの人、いったい何をやったの?」「さあ。あのあと私たちはそのまま帰ってしまいましたから......」「そういう約束だったからそれは仕方ないわ。ただ、あの人の停学処分の理由がわからないと、何となくわたくしたちも大人しくせざるをえないじゃない」マデリーン・ラッチェン停学については、一年生の間でも噂が広がっていた。何せマデリーンは第二王子の恋人だった女。その彼女が停学処分となったのだから、何かと勘ぐられ、囁かれてしまうのは仕方がないことだろう。ただし噂はどれも憶測レベルで、信憑性に欠けるものだった。 「し、シルヴィア様の、おっしゃるとおりです」おずおずと取り巻きは答えた。そうとしか答えようがなかった。シルヴィアンナは苛立ちを滲ませる。